旅の古本屋 ブログ・開設の辞

 みなさんごきげんよう! 

 パンデミックから一年がたちましたね。1年と言いましたが、日本で最初にコロナの感染者が確認されたのが、ちょうど、一年前の今日だったんです。

 

 このステイホームの1年、皆さんはどんな一年を過ごしましたか?

 ステイホームで断捨離、何かと自分の生き方とか、社会や世の中のあり方を見直す大きな機会になっていると思います。

 

 幸い、今のところ、私、そして、私の生活圏り身の回りに感染者はいませんが、 このところ私が一番よく考えいたことは、自分という人間が、

 

 何の肩書きもない一人の人間として、

 この世の中で残りの余生、おそらくは四半世紀ほどの時間を

 どのようにして過ごしたらよいのだろうか?

 

 ということでした。

 

 まだ定年は先なんですが、気持ちや意識の上で、自分の生き方から肩書の断捨離をしてみました。今までしなければならない!、という至上命令の最たるものは子育てでしたが、一段落ついたわけです。やっとこ、すっとこ自分育てというわけです。

 

 それで出来上がったのが「旅の古本屋」です。

 

 私は現在57歳ですが(2020年当時)、自分と同じような境遇や状況にある世代が世の中にはたくさんいるじゃないかということを期待して、SNSで何かを始めてみようと思って、 Twitter や、ブログ、youtubeなどのアカウントの準備を、在外業務のベトナム?で?始めたわけです。

 

 ご同年輩の諸氏、いかがお過ごしでしょうか?

 ベトナム?、そう、ベトナムだったんです。

 

 何しろ外国への単身赴任なので、大変なことも沢山あるのですが、仕事と生活、 どちらも自分のこと以外にはやることが何もないのです。そこへ持ってきてベトナムでは体調が思わしくなくて、ほとんど仕事をするか、横になるか、病院に行くか、そんな過ごし方をしていました。

 

 そんな1年の間に、、、、!

 

 日本では天皇の御代も代替わりとなり、

 

 自分の子供が結婚・出産をし(一時帰国しました!)、

 

 2019年5月の帰国後は、ベトナム生活の1年間をまとめながら、お休みしていた日本での仕事への復帰にバタバタと忙しく半年ほど過ごしていたら、パンデミックになったわけです。

 

 バタハタと忙しく過ごしていた半年の中には、バタバタの最たる大きな仕事にオリンピックに関わることがありました。どうやらそのオリンピックもコロナで断捨離ということになりそうですね。

 

  なんか海外で生き方の見直ししようとしてたら、御代が変った子供が結婚した孫できたーオリンピックはコロナで中止~、と、世の趨勢から我が身独り置いてきぼりの観、無きにしも非ずなんですが、お天道様から引導もらった!、ということにしています。

 

 さてこのブログ書き始めの際一番肝心な問題に戻ろうと思います。

 

 何の肩書きもない一人の人間として、

 この世の中で残りの余生、おそらくは四半世紀ほどの時間を

 どのようにして過ごしたらよいのだろうか

 

 という問題です。 

 

 お金についてそんなに大きな欲望や 期待をしているわけではありません。

 医食住の日々の暮らしを支えられれば良いのです。

 服とか見栄えについては不衛生ではなくて、

 健康で普通な感じで過ごせればと願っています。

 

 もう競争だとか、他よりは自分をよく見せたいとか、人の上に立ちたいとか、そういうことをめぐる足の引っ張り合いみたいな人生は本当にまっぴらごめんです。

 目立たず人知れず、さりとて見苦しくなく生きられればそれでよいのです。

 

 しかし大きな問題があります。

 

 楽しく生きる、ということです。

 楽しく生きるとは、 自分らしくということなのではないかと思います。 

 

 ところが・・・!、

 

 人生を振り返って思うのですが、自分らしくって結構、難しかったなぁって思うのです。 自分らしく生きるとは「暮らす」ということです。私は自分らしく生きてきたつもりなのですが、外国で仕事をすることができたなんて、私はやってみたいと思ったことではあるわけですから、なんだ、自分らしく生きてきたじゃないかと言われれば全くその通りなのです。でも、五十歳を超えた頃にすごく大きな問題に気がついたのです。

 

 私の生き方には、暮らし方がなかった、のです。

 

 働き方という意味でのライフスタイルはあったかもしれません。

 それは職業とかお金の稼ぎ方だとか、お金や職業を通じた世の中との関わり方(所謂、ステータスってやつ)だとか、そういうライフスタイルは確かに私なりに、上手だったとは思いませんが、持つことができたと思います。

 

 でも、それってやっていて、いいなぁ、と思うことは殆どない、勝っても苦い潮ということが多い競争社会でしたね。勝って喜ぶというよりは、ホッとする、ばかり。私には向いていないのです。

 

 出世するのは嫌な奴ばかり、とは言いません。

 みんな人の好さを捨てて成り上がっていきます。

 その痛みも人生の機微ってやつでしょう。

 でも、それって第二の人生のなんの役に立つの??、、、

 

 しかも、その中には暮らし方というものが全然ないんですよ。

 

 いや働き方で精一杯だった。暮らし方を犠牲にすることで働き方を守ったり、自分にとってよりよい生き方を作ってきたつもりのですが、それって肩書きによって支えられていた働き方であって、肩書きがない、自分が関わってきた組織がない、つまり余生をどう過ごすかということには、何も残してはくれない

 

 それどころか余生にはすっかり仕事や競争で健康もすり減り、心も荒んだ自分がいるだけなんだということに、気がついたわけです。私の人生にとって最大の危機は、暮らし方がないということなんだ、と、とても深く思うようになりました。 

 

 もっと早くにそうしたことに気がついてるべきだったなぁと思ってます。 

 

  車中泊をしてみたいなぁと思ったのもそういうことが大きな理由だったのかもしれません。

 

 ちょっと極端な考えかもしれませんが、ずっと働き方だけで生きてきた、暮らし方なんて全部、嫁さんに丸投げ、言いなり、で、暮らし方に自分というものがない生き方をしてきたものにとって、念願のマイハウス、自宅に帰ってみても、その中に自分の暮らし方ってないんですよね。いろんな意味であんまり自分の居場所ってないんです。だって寝るために帰ってきてるだけだったようなものなので。

 

 帰ってくるマイハウスは規則のかたまりで、結構、私にとっては上手に遵守して過ごすには大変、、、、、、もしかして、地雷原、、、

 

 一応、自分が作った家なんだけど、、、(^-^;

 

 考えてみればベトナムにいた一年間、パートナーと連絡して話し込んだことなんてないんですよ。なくて清々した!、とまではいきませんが、ほっとした、というのはありますね。とりあえず地雷原、さらば、という感じですから。娘、結婚する、孫、産まれる!、とそういう時の連絡はしたけど、まあ、現場にいたとして男なんて本当に役割なんてないもんです。車出すとか、重いもの持つとか、それでも一生懸命になるんですけどね。でも、細かい思い出話になると、まぁ、ついてこれんこと、これんこと。

 

 よく男の勤め人の間で自嘲気味に、家はあってもホームレス、とか言いますよね !(^^)!

 

 懸命に働いて家族を養い、それによって得ることができた喜びは、なにものにも代え難いかもしれませんが、それだけが私の暮らし方で、それだけが私の私らしさということなんだろうか?

 

 いやーそれは違うなあ、全然違うなあ、と感じている私がいるのです。

 

 私は少年時代、青年時代、大志を抱き、世間に臨みました。

 家庭的なパパさんなんて、はっきり言いますが、夢のひとかけらにもありませんでした。

 そんな文弱の輩が言いそうなことなんて!

 よいパパなんて男の目指す世界のわけねーだろー!

 天下国家が男の舞台!、そう、そうです、これこそ昭和男の道!

 だから結婚なんてしたってうまくいくわけないです。

 別に相手が悪いわけではない。男は、所詮、男、というだけのことです。


 でも、ちょっと前のことです。若い女性たちの話を聴いてギョっとしたことがあります。

 それは自分たちの「お父さん」についての話題でした。こんな感じでした。

 

 「お父さんって何が楽しくて生きてるんだろうか?」

 「うん、そうそう、お父さんって家族でどっか行っても黙ってついてくるだけじゃん」

 「家族で何をやっても自分のやりたいってことやってるというのでもなく、脇役ばっかで、、」

 「話しても全然、ついて来れなくて」

 「なんかちょっと話しても結構イミフだったりして」

 「忙しそうで、朝早く出かけて、帰ったら疲れて寝てるだけ」

 「 お父さんって何が楽しいかだろうねぇ?」

 「そう、なんだろうねぇ」、「お父さんって何なんだろうね?」

 

  この会話って結構当たってんですよね。

 

 父親って、「自分」がないんですよ。家庭のためってことの仕事で精一杯、それで考えているのが天下国家だったりして、それなのに、というか、それゆえに、結構、いやいや、とうとう、家庭に居場所とか、肩身が狭かったりして。

 

  そうやって長く生きてきたら、きっと仕事の中にも、働き方の中にも、生き方の中にも、家庭の中にも、暮らし方の中にも、お父さんという存在はお父さんという肩書きでしか存在しなくなってしまっているのです。

 

 自分で選んだ肩書きではありますが、、、、

 そして選んだ肩書きに責任をもって生きていかなければいけないとも思いますが、、、、

 

 その「お父さんという肩書き」は、働き方をめぐる肩書きによってしか支えられてこなかったのです。

 

 それで50を過ぎてから、こう思ったのです

 

 今までは、世のため、人のため、家族のため、妻の短気爆発回避のため、この四つだけが自分の生き方でした。これからは少しは、自分らしく、自分のために生きてみたい、そんな願いで自分の SNS のアカウントを準備したわけです。

 

 ブログを始めようと思ってこのアカウントを準備してから、 3年も経っちゃいました。普通のおじさんには、これだって難事業だったのです。

 

 でも、「旅の古本屋 里山里海紀行」、今、これが新しい私の肩書です。生涯現役の肩書!、定年のない肩書なのです。

 

 非常事態宣言も出てしまい、車中泊もいつまでたっても準備、準備で出発することができないわけですが、 旅の古本屋 と称した「本当の私」のアカウントにお付き合いして頂いている皆さんにとても感謝しています。 

 

 メキシコのある先住民の言い伝えに、「原始、人間は大空を自由に飛ぶ鳥だった」という説話があるのを思い出しました。鳥は脊椎動物ですから遺伝子的にも人には鳥と同じ何らかの痕跡があるのかもしれません。思えば小学校の時、最初に買った図鑑は『原色 日本鳥類図鑑』(保育社)でした。子供のくせに随分、専門的なものを買ったと思います。昨年から急に鳥撮を始めたのもそのせいなのでしょう。素人俳句も、祖母が俳号があり、いくばくかの嗜みを教わったことがあります。三つ子の魂は百迄なんですね。

 

 50も過ぎて初めて自分のために生きてみようと思った普通のおじさんのブログですが、今度こそ、自分が自分らしく生きるための旅をしようと持っています。

 

 私にはどんな遺伝子があって、原始、どんな自由を持っていたんだろうか。

 里山里海の花鳥風月にそれを確かめに行こうと思います。